そんなことある?

気分を落ち着かせるためと、思考の整理のために書きます。

年末年始、地元の金沢に帰省していた。

『明日から仕事だから帰るんだ〜!』と1月1日は、帰る準備万端で金沢駅の近くにあるフォーラスというイオン系列のでっかいショッピングモール内の6階スタバで父とお茶してた。

父はカフェミストで私はカモミールティ


雑談しながら、電車の時刻までゆっくりしよ〜と思っていたら、1度目の揺れ。

父が「揺れたな〜」と。私も「ほんとだねー」なんて、軽い返事。これぐらいの地震は正直もうなんか日本人だから慣れちゃってて。


油断していたら、2回目の揺れ。

柔らかい揺れから、どんどんどんどん大きくなって、突き上げるような揺れも加わって。
壁や天井の装飾が大きく歪んだ。周りがざわつき、急いで父とテーブルの下に。
たまたま真横の席が海外の人で、戸惑っていて。「下に!テーブルの下!」って大きな声で話したら「した?」と戸惑って返されて「under the table!!! under!」と英語が口から出たので、私は英会話できるって言っていいよね。ね?

その後も、肩を寄せ合って「Don't worry. it's ok...」と喋ったりしました。

その間もスタバのカップは割れ、棚からも割れ物が全部落ちていく。

ガタガタガタ、ガシャン!パリン!きゃー!みたいな声があちこちから。

人間って本気で怯えるとこうなるんだ…という状態。幸いにもガラスから遠い席だったので、父と一緒に15分ほど(体感30分だけど)はその場で待機しました。

母から、泣きながら電話があり、無事を確認。祖母には電話が繋がらず。弟は、父へ電話をすぐしてくれて無事の確認が取れました。

隙間で、明日の朝から出勤予定だったので会社へも連絡。『こんなん絶対帰れんでしょ!?電車動いたら奇跡』と思いつつ、外の状況も分からなかったがとりあえず帰ることが難しそうと連絡。

しばらくすると、フォーラスの館内放送で『この建物は耐震構造なので安全です。津波がくるので、建物から出ないでください』というような案内。

フォーラスのスタッフの人の迅速で的確な指示で、本当にその空間にいた全員が大きく騒ぐことなくスマートに移動していました。

スタバから出る時、持っていた飲み物をゴミ箱に入れる。

飲み残しも捨てて、プラと紙に分けて処分しながら「緊急事態でも、ゴミの分別できるんだから、日本人ってすごいよね〜!」って父に話しかけたけど、軽く受け流されました。なんで。
みんな真面目だよ!!スタバの店員さんもすごい地震だったのに割れた食器すぐに箒と塵取りで片付けてたし!

 

6階にいたけれど、5階に降りて。
その後、フォーラス館内にいる全員を2階と3階にスタッフの人が集めてくれて。
私たちは3階でみんなひっそり肩を寄せ合って避難していました。
歩くと、どのお店も物が散乱していて、化粧品のお店はもう色んなものが割れまくってて、トルソーは倒れ。落下物で足を怪我してる店員さんとかいて。
じわじわと「震災だ…」と頭の中にしみこんできました。この頃にはおばあちゃんにも連絡がつきました。

 

日本語で案内される店内放送、海外旅行客の人たちには伝わらず、英語でたまに喋っていた父と私に「なんて言ってますか?」と何度か聞かれることに。
父が英語が喋れてよかった……とこんなに思ったことないです。
旅行しに来て、こんな状態で、避難指示が日本語しか無いの本当に怖いだろうな……。
結局最初にスタバで真横にいた海外の人たちとは最後まで一緒にいて、ホテルまで送ったりしました。
津波が到達するまで、フォーラスの人たちは館内で守ってくれていて、外に出る安全が確認取れてから、全員順番に建物の外へ解放されました。
18時に、私たちは脱出できました。

最初から最後までずっと一緒にいた2人は、スウェーデンから日本にきていて、別れ際に「本当にありがとう」と重ね重ね感謝してくれて、九谷焼の花瓶をプレゼントされました。

そんなことある?

一生の思い出の九谷焼になりそう。この流れで贈られる九谷焼、死んでも落として割ったりしちゃまずすぎる。死守。

 

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この辺りぐらいまでは、正直アドレナリンも出ていたし、驚きの方が強かった。
その後、父とは別れて、母の家に預けてもらい母の家で一緒に過ごしました。金沢市内だったので被害もそんなに大きくなくて。

家に着いて、ニュースを見たり友だちの投稿を見たりしているうちに、どんどん現実味が増していきました。知り合いや友だちも断水したり、家が壊れたり。幸いにも私の直接面識のある知り合いで大きな怪我をしたりした人はいなくて。それだけが救いでした。

みんな口々に「暖冬で雪がなくてよかった。晴れててよかった。(石川は年の半分以上曇りと雨)年末年始で若者が近くにいたからよかった」と繰り返していました。

日に日に増す死者数。一番心がしんどかったのは羽田の件。助けてくれようとしていて起きた事故ほど、辛いものはないです。心より、ご冥福お祈りいたします。

 

辛いけど、辛いって思いすぎるのも良くないし、幸せに生活できるなら生活してください。経済回してください。

石川県も場所によっては深刻だし、しんどいことや辛いことなんて取り上げようと思ったらたくさんあって。

金沢駅で電話しながら泣き崩れる人はいるし。親戚から送られてくる写真は家の中崩壊してるし。友だちは断水で辛そうだし。親戚は震度7体験してて津波から爆速で逃げた話も聞くし。お母さんの家で過ごしてた時もずっと大きく揺れ続けるし。時間なんか関係なく夜中でも揺れるし。

実際そうなんだけど、幸せに楽しく過ごせるなら過ごした方がいいなって思います。

私も、震災怖かったけどお母さんとお酒飲みながらオセロとかしましたし。

笑いながら「え?今日元旦であってるよね???やばない?」って会話しましたし。信じられないけど元旦だった。

そんなことある?って思うけど、そんなことあったみたい。

初日にこんな状態なんで、あとは幸せ上り坂ですよ。

たくさんの人が心配してくれて連絡くれて嬉しかったです。

逆に連絡控えてくれた人もありがとうございます。私は被害大きいところじゃなかったので平気です。近しい家族も!

 

ふつうに、本当にふつうに、家族が心配ではあるのですが。

残っててもしょうがないよね!と思える状態なのと、家族全員たくましく仕事開始したりしてるので、名古屋に戻ります。

私は私で名古屋で経済回して、募金します。

みんなもそうしてね。

たのしいことして、過ごそうね。ぴーす。

 

とりあえず、想い出の九谷焼だけは死守して帰ります。